知識人と美容師を繋ぐソーシャルウェブマガジン

美歴マガジン記事一覧 » 「顔の特徴は活かすべきか殺すべきか」 ~ビジュアルは言語その9 ~
2014.11.07 Fri
「顔の特徴は活かすべきか殺すべきか」 ~ビジュアルは言語その9 ~
言うまでもないが、人の顔には特徴がある。

顔だけでなく服の脱ぎかたひとつを取っても、
歩きかたにしても、我々はたくさんの“特徴”を持っている。

特徴は「個性」とも言い換えられる。
この「個性」は「集団」という形態になると、
「個性」の「個」の部分はまたたく間に失われ、
特徴を持たないただの「人」の集合体となる。

とりわけ日本人は、集団の中で「個」を消し去るプロフェショナルのようで、ラッシュ時の電車内や混み合う街中では知り合いはおろか“親しい友人”ですら見つけることは困難である。

それは何故か……。

2003年に著書『バカの壁』がベストセラーとなったことで著名な養老孟司氏は、最近のインタビューで、日本社会を、日本人をこのように分析している。

『日本人は自分たちが属する社会を“世間”と呼ぶが、その世間とは一定の資格を持った仲間だけが入れる会員制のクラブみたいなもん』

だと。さらに、そのクラブに入るための入会資格について、

『日本人の親から生まれ、日本語をはなし、日本人らしい顔をしていること』

と定義づけてもいる。
なるほど……、混雑した場面で知人を見つけられない現象の答えはここにあるようだ。

顔の特徴というのは「個人を識別する」ための最も重要なツールであるにも関わらず、時と場所によってソレはまったく機能しない。
なぜなら人間社会はもっと複雑で、他者と自分を識別するだけのツールとして「顔」は存在しないからだ。

世界的なジャパンサブカルとして、その地位を築きつつあるニッポンのJK(女子高生)たちは、日本人らしいその顔を、プロなみの知識とメイクテクニックで、わざわざ西洋人の顔に近づけようとする。 もちろんその顔が西洋人になれるワケはないが、結果的に『新・ジャパニーズガール』の顔を作り上げたし(いわゆるギャル系が元祖)、都心の高校では、現在でも少しずつデザインや必須アイテムを変化させながら、つねに“スタンダードな顔”として存在している。

ある社会(集団)で絶対数を占める顔は、その社会でのスタンダードとなり、いわゆる「個」を示す「もともとの顔の特徴」を殺す、ということになるだろう。



メイクのプロフェショナル視点で言う、“顔の特徴”とは前にも述べたように「個性」であり、もうちょっと深く表現すると「その人の生き様」でもあると考える。
結論的に申し上げると、ひとり1人が持つ個性が他者に好感を与えるソレなのであれば、存分に「顔の特徴(個性)」を活かすべき。また、あなたも自分の顔で気に入っている特徴があるのならば、生涯を通して磨き続ける「部位」として、その特徴を捉えるべきだ!と断言する。
しかしその逆に、好感を得れず、あなたもまたコンプレックスを持つような特徴であれば、それはなるべく変化させてゆくことをお勧めする。

よく、顔をけなされるとその人間は生涯傷つき、自分を愛せない人間になるというが、それは真実である。

例えば、あなたの特徴からくる第一印象について、他者からの評価が低く、批判的であった場合、それはすぐさまコンプレックスへと変化する。特に「顔」に関してはどうしても自己啓発的で、理想的な「正しく美しい位置」に自分自身で持ってゆくことは不可能なのだ。

突き詰めると、それは我々が一生を通して“自分の顔を自分の肉眼で見れない”という事実にたどり着く。
顔は他者のためにあるのだ。
自分以外のすべての人間とコミュニケーションを良好に取るために、顔があり「表情」がある。

「美人は人のためならず」

という言葉があるが(そんな言葉ないか……)、美人は人のためにあるのであって、自分以外の人間のために必要なのだ。好感度の高い顔の特徴は、社会での存在価値があまりにも高く、つねに切望されている。だから時に公共性があり、公平性みたいなモノも求められたりする。

このコラムの結論としては……、
「ビジュアルの公共性」っていうのは、極論すれば“美人”ということ。
ここで言う美人とは「シャープすぎず、可愛いすぎない中立である美人顔」ということで、好感度メイクでいくらでも演出することができる。これこそ、“みんなが気持ちいい”、“心地いい”、“ご褒美もらった!”と思える特徴(個性)なのである。
この特徴を「出し惜しみせず、いっぱい磨いて、社会に貢献してね」っていうこと。

で、それってみんなのモノだから、独り占めしたり、個人の所有物化しないでね、ってことで宜しくお願いします。