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美歴マガジン記事一覧 » 『背負う善事は違えども、違えども。』
2014.07.05 Sat
『背負う善事は違えども、違えども。』
みなさん、こんにちは。
Bireki Magazine編集部 石渡です。
いつも、Bireki Magazineを読んで頂き、ありがとうございます。
今日は、以前、ブログに執筆した内容を再編集したものです。



最近、弊社にも中途作用で新しい仲間がたくさん加わりました。
年齢を聞いてみると、私より10歳以上も若い。
素晴らしいことですね。



20代の若者と飲みに行くとき、気をつけていることがある。
それは相手の話を聞き出すこと。

40代以上の先輩と会食するとき、気をつけていることがある。
それは相手に意見すること。

30代後半の私は、コトに対する態度については、恐らく年上世代と同じ。

しかし主義主張、思考については、私より経験がある先輩から意見が欲しい。
そのために意見して、反応を求める。

20代の人たちは、
主義主張や思考、意図など
私とはまるで違う。
だからこそ、その理由を聞きたい。
なぜそう想うのか、
なぜそう行動したのか。

行動とは、世代によって大きく変わるものではない。

生きている社会が同じである以上、生活様式は近しくなるものだ。
40代だからって着物を着ているわけではなく、
20代だからって未来の生活をしているわけではない。

そこに顕在するのは“意識の違い”。

この“意識の違い”を具体的に言うと、
「その人が所属するコミュニティが生み出す善の違い」
だと言う。


まず、このコミュニティとは何か。

国、町、家族、世代、などのまとまり単位が
ひとつのコミュニティである。

日本国民、港区民、○○家、30代……。
一般社会では意図的にくくられるので、コミュニティへの帰属意識が持ちやすい。


それでは、ここで言う「善」とは何か。

善とは、目的であり、大義名分であり、向かって行く方向性であると考える。

その正しいと思う方向が同じであるから、そのコミュニティは機能する。


分かりにくいので、
事柄を極端に単純化してみる。

「LINEで愛を告白する。」

20代に聞くと、今は普通のことらしい。
40代に聞くと、直接、言うべきでしょう、と言う。

してもいいこと(善)であるか、
してはいけないこと(悪)であるか。

この基準の違いがコミュニティの違いに繋がる。

この“善”の意識は共有されやすい。
それらが共有されることで同じ方向へ向かう。


詳細にみると、コミュニティ内で差異が生まれる。
しかし、それは、例えば国というコミュニティの場合、
他国というコミュニティと、
自国というコミュニティの、
利害関係がバッティングした際には、
自国の利益を優先するという意識は発せられる。



ここで私が言いたいのは、
コンサルタントがしたり顔で言うような、

「異なるコミュニティの壁を超えて、
善を共有(もしくは強制)することが大事」

なのではなく、
コミュニティによって善は形成され、それは揺るぎにくいという事実を知ること。


10代、20代、30代、40代、50代、、、

それぞれのコミュニティには善があり、それぞれのコミュニティによって善は形成されてきた。

つまり、そもそも「40代の善」と「20代の善」は違うのだ。
おっさんの話は理解できない。
イマドキの若者は理解できない。
これは当然のことなのだ。

この善がどのように形成されるのかを考察してみる。
私は2通りあると考える。

ひとつは時代背景及び環境だ。
バブル、団塊、ゆとり、好景気、不景気、少子化……。
生きてきた社会状況によって埋め込まれる意識。

例えば30代中盤から後半の世代は、
学校制度や社会情勢のなかで、変化前の終盤にあたることが多い。
かつての学区制や初めて消費税の導入など、社会変化のなかに置かれることが多かった。
つまり、旧体制と新体制の“狭間”になる場面が多い。
そのコミュニティだからこそ、植え付けられる善がある。

社会環境に加えて、コミュニティを形成する、もうひとつの要素は年齢である。

年代ではなく、年齢。
15歳のときに、15歳が自然と共有する善と同じ人たちが40歳で自然と共有される善は違う。
私が10代のころ、電車のなかで化粧する人に対して何も感じなかったが、40代に近くなると、違和感を感じ始める。

年齢を重ねることによって、感じる善が変わってくる。

このふたつの方向から生み出された複雑な“経験善”がコミュニティを形成してくる。

ひとたびコミュニティによって形成された、
この善は簡単には超えられないし、
なかなか他者に強制できるものではない。
表向きはできても、深層心理では払拭できないだろう。

であれば、どうすべきか。
それは、善の明確化にほかならない。

明確化とは何か。


善 = 目的
とした場合、少し分かりやすくなるか。
この目的を、なぜ目指すのか、
目指した先には何があるのか、
そして、どのようにすべきか。

これらを明確にすることが、
目的(=善)の共有になると思う。

コミュニティを年代で言えば、
上の世代が下の世代に善を押し付けてはいけない。
違うコミュニティから押し付けられた善は善でなくなる。
善でなくなり、命令であり、場合によっては悪となる。

重要なのは、明確に理解してもらったあとに、
相手の善を明確に理解することだ。

上の世代であれば、
社会経験や、当然、下の年代を経過してきた経験があるのだから、
若いの世代の善を明確化してあげられるはず。

これを明確に理解し、相互で共有することで、
コミュニティを超えた、交わることのない屈折した善の争いは少なくなるはず。

私はこれまで、己の善が正しいと思い込んできた。

しかし、それはコミュニティによって形成されたもので、自らが創りだした善ではない、ということを知ったとき。
この正しいという思い込みを捨てることとした。

だから、年長者に意見を聞いてもらい、
年下の話を聞くようになったのだ。

そして、相手(違うコミュニティ)の善を受け入れ、明確化して、共有する努力をするようにした。

きっとそこから見えてくる新しい世界があると想うから。



なんとも今さらの話なのです。
こんなところで偉そうにする話ではないのです。
ただ………、せっかく納得のいく論理だったので、ここでみなさんに共有させて頂きました。
年齢によって受ける感覚は違うと思います。
みなさんは、どのように感じられたでしょうか。

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。


株式会社パイプドビッツ
美歴カンパニー
美容師名鑑編集部/Bireki Magazine編集部
兼任編集長 石渡武臣