知識人と美容師を繋ぐソーシャルウェブマガジン

美歴マガジン記事一覧 » みんながそれぞれの役割を演じている  ――王貞治(福岡ソフトバンクホークス会長)
2014.06.25 Wed
みんながそれぞれの役割を演じている  ――王貞治(福岡ソフトバンクホークス会長)
王貞治 ――その人の偉業は、今さら説明する必要はないだろう。

 一本足打法という独特な美しいフォームから生み出された 868 本のホームランは、今もなお世界最高記録を誇っている。
選手としてはもちろん、現役引退後には巨人、ダイエー、ソフトバンク、さらに野球日本代表チームの監督として、いずれも優勝を勝ち取っている。

 1977 年に初代の国民栄誉賞に輝いた彼は、グラウンド外でも人格者として知られている。
ファンからサインを求められれば時間の許す限りそれに応じ、膨大なファンレターにもきちんと返事をしたためていたという。
ファンはもちろん、報道陣にも、そして球団の裏方に対しても、分け隔てなく、王は常に敬意を持って接していた。

 以前、『不滅 元巨人軍マネージャー回顧録』(主婦の友社)と題された書籍を執筆したことがある。
長年にわたって巨人軍を側面から支え続けたチーム・マネージャー――菊池幸男――の物語だ。
この本を出版するにあたって、王にインタビューを申し込むと、ソフトバンクサイドからはすぐに「菊池クンの本ならば、喜んで協力します」と取材の快諾を得た。

 福岡ヤフードーム(当時)の会長室で会った王貞治は、大病を患ったとは思えない血色のいい表情で、取材陣の前に現れた。
「菊池クンの本が出るんだって? 何でもお話ししますから、彼のためにもいい本を書いてあげて下さいね」

 終始、和やかな雰囲気のまま取材は行われた。
岩手の高校を卒業後、集団就職で上京した菊池氏は、都内のスポーツメーカー・玉澤に入社。
ジャイアンツの本拠地だった後楽園球場と本社が近かったため、玉澤は巨人軍の選手たちへ道具の販売を行っていた。
入社したばかりの菊池氏は、目の前で躍動する長嶋茂雄や王貞治にすぐに魅了された。
岩手から上京したばかりの少年にとって、当時から人気絶頂だった“ON”は「雲の上の上の人」だった。

 王貞治の菊池氏に対する言葉は、いずれも優しく温かいものばかりだった。V9※時代を振り返って王は言う。

「誰よりも早く球場にやってきて、誰よりも最後に球場を去る……。
そんな菊池クンの頑張りに僕も、長嶋さんも、その他多くの選手たちも支えられていました」

「僕は今でも菊池クンに対しては仲間意識があります。
あの時代のジャイアンツをともに過ごした仲間だという、そんな想いが確かにあります」

 そして、私が最も胸を打たれた王の言葉を紹介したい。

「世の中にはスポットライトを浴びる人間と、それを支える人間がいます。
みんながそれぞれの役割を演じているわけです。
どんな人でも必ず重要な部分を担っている。
あの伝統あるジャイアンツ、あの強いジャイアンツを菊池クンが支えたのは間違いないし、彼にだって、“オレがジャイアンツを支えたんだ”っていうプライドは必ずあるはずでしょう。
だから菊池クンに対して、僕は今でも仲間意識があるんです」

 後日、王の言葉を伝えたときの、何とも言えない満足そうな菊池氏の表情は、今でも私の脳裏にしっかりと焼き付いている。
かつて、「目の前で光り輝く長嶋さん、王さんを羨んだり、自分を蔑んだりすることはなかったのですか?」という質問に対して、菊池氏は言った。

「そんなことあるはずがないですよ。
だって、長嶋さん、王さんは別世界の人間なんですよ。彼らの姿を間近で見ていればこそ、彼らを羨んだり、自分を蔑んだりなんてするはずがありませんよ。
けれども、僕には僕の人生がある。彼らを陰から支えるような、こんな生き方もあるんです」

――みんながそれぞれの役割を演じている。

 王の言葉は今、自身の置かれている立場についての自信を与えてくれる。

――僕には僕の生き方がある。

菊池氏の生き様は、たとえどんな状況下にあっても「誰かが必ず見てくれている」という勇気と誇りを与えてくれる。
スポットライトを浴びる人間と、それを支える人間。
まったく異なる道のりを歩んできた2人の男の生き様は、とても大きな何かを教えてくれるような気がしてならない。


※V9=ブイナイン。読売ジャイアンツが 1965 年から 1973 年まで、9 年連続でプロ野球日本シリーズを制覇したことを指す。
川上哲治監督、王貞治・長嶋茂雄という二大スーパースターとともに、森昌彦、柴田勲、高田繁、堀内恒夫などの名選手が名を連ねた。まさに時代の象徴だった。